Uncategorized

Fラン大学に行く意味はあるの?

最近少子化のせいか、大学生の質が落ちてきた?奨学金もあるから、進学の意志のある人は学力がなくても大学のレベルを選ばなければ行けるようだ。ところが大学出た後、奨学金の重荷に潰されれそうな人が最近話題になっている。(今の大学の授業料はバカ高い、聞いてみると国立でもウン万とか、おいらの頃は月謝千円で、高校の月謝より安かったのにな~)

(今の大学の授業料、調べてビックラ)

ホリエモンは昔から、大学に行く意味は無いと主張している。NETを活用すればFラン大学に行くより、より価値のある有益なサイトや動画に容易に接することが出来ると主張する。勿論殆ど金もかからないので、奨学金とかの重荷からは無縁だという。(ホリエモンの博学は恐らくムショ大学の数年間が寄与しているのではと思われる。あそこなら、雑念無く邪魔されることもなく読書三昧、勧めるならムショ大学をホリエモンは推薦するかな。3食昼寝付きで税金補助もある)

おいらも正直、大学で学んだ専門知識?殆ど実社会で役にたったことが無い。今でも多少、流体力学とか材料力学の知識は記憶のかなたにあるので、流れ学とかで飛行機が空を飛ぶ原理くらいは知っているが、飛行機のような空を飛ぶ機械は設計したことは無いので全く役に立たない。材料力学でごくたまにメカの強度計算する時、役にたったくらいかな?英語とかの語学も中学、高校と一応6年間学んだことになっているが、英会話とかに限れば社会に出た時点では簡単な買い物とか日常会話すらおぼつかなかった。中学、高校時代は今のようには生の外人英語と接する機会は皆無。語学は必要な場面をどれだけ経験するかがものをいうようだ。(以前、ベトナムをふらふら旅行していた時、ツア-にベトナム人の英語の通訳がついた。一応ベトナム訛だが英語の通訳をこなしていた。聞いてみたら、英語の語学の専門学校で1年学んだだけと言う。おぃおぃ、日本人は6年以上英語を学んでも、しやべれないぞ、と伝えたら、日本人バカ?とか言われてしまった。おいらも日本人がバカと思われたらまずいので、日本では英語は必要無いので、日本人はみんな英語の授業はまじめに受けず遊びの息抜きの時間と思っているのだと主張しておいた(T_T))

今はNETで様々な教材が転がっていて、意欲さえあれば殆ど無料で学習が出来る。おいらはその意欲が余り無いので、宝の山も余り利用してないのが残念。

話を戻して、おいらの従業員、一応Fランの機械系の大学を卒業していたのだが、簡単な材料力学の計算させようとしたら全く出来ないので正直唖然。30分もあれば出来る計算が1日経っても出来ないのだ。そうそう、以前にはもっと衝撃的なことがあった。30過ぎの従業員、三角関数が出来ないのだ。高校出て三角関数が出来ない人がいるとは信じられなかった。

もうひとつ、おいらの頃は偏差値とかいう数字、余り知られていなかった。確率統計でいうところの山より悪い方のほうに分布している人は50以下らしい。偏差値とかいう数字で、その人の脳レベルを判断されるのもなんだかな。

まぁ、このようにいろいろ考えると、大枚はたいて、Fラン大学に行く意味は大してないように思えるのだが。もうじき大学入試が始まるな?

大学に行く意味は無い!とホリエモン節は炸裂するのだが?

 

 

改めて見ると、大学でもいろんなのがあるのだと感心する。こういうところ行くなら、もぅ一回中学とか高校をやり直したほうが、後々ためになるのではと思うのだが?そういうわけにはいかんか。

一方、人生無駄なものほど価値があると言う人もいる。社会というものは無駄なもので満ちている。この間、博士号をもった人の就職先が無いとかで問題になっている報道を見た。世の中研究といっても即経済的に金になる研究は1%も無い。99%はいつ世の中に役にたつか分からない。今の世の中、金にならない研究者を雇用するほど余裕のある企業や研究団体は少ない。ということで首尾よく大学の教員とかになっていればいいのだが、その席にも限りがあり、そこから一旦はみ出たり席の順番運に恵まれない研究者はアルバイトの掛け持ちとかで生きていかねばならないとかいうことらしい。昔はそんなにはせちがなくなく、こういった研究者を抱える余裕が社会にあった。そんな時代が科学技術で世界をリ-ドする日本の黄金時代だったとか。

たとえFラン大学と言われても、大学でふらふらしている間にその学生が今まで自覚しなかった才能に目覚めるとか、あまりの自由な学園生活の間に何か悟りのような雷のようなひらめきに遭うとか、無駄故に得られるものがあるかも。

将棋の藤井聡太は中学出とか。高校を中退してしまったので。今の世の中、中卒だと雇用条件はかなり厳しいのだが、一芸に秀でた天才は違う。自分の進むべき道と自学出来る術を知っている人には学校は無用。それを探すべき時間の稼ぎの場と解すれば、Fラン大学生活も意味があるとか。

Fラン大学にゆく人は、自分に合う学習方法知らないとか、学習の意味が分からないとか、余りに好きなことが沢山あって学習しないとか。いろんな人がいるから面白いのかもな。

と、ホリエモンの大学無用論の動画観てぶつぶつ訳のわからんことを書いたな。映画観ながら書いたので、悪しからず。

Translate »