COP26に思うこと 地球惑星号 SOS 地球の終末は近いのか?欲望の世界の行き着く先に何が待ち受けるか?

先日から英国で行われているCOP26、大国の政治家のやってますジェスチャばかりと環境活動家は怒っている。今、惑星地球号の病状はかなりピンチらしい。百年に一度の大災害が忘れる間もなく毎年のようにやってくる。長く生きてきた私の人生にも、かって記憶の無い大災害をここ最近の間に、立て続けに経験することになろうとは思わなかった。これらの大災害が地球環境の変化に起因するのかどうかには確たる根拠が無いが確かに最近の気象変動はおかしい。昔は竜巻などという用語は外国のニュースでしか聞けなかったが、今は私の住む地域の天気予報にも竜巻警戒とかで時々出てくる。人間の経済活動が、環境破壊の主原因と言われてから久しい。地球環境という観点から言えば、皮肉にもこの2年間でのコロナウィルスの功績は凄い、一番の功労者に違いない。環境破壊の主原因、経済の活動をかなり抑えたのだから。どんなSDGs活動より大きな効果だったに違いない。地球環境とコロナウィルスとの関係を繋ぐ糸は今のところないが、全く無いとも言えない。COP26で日本は化石賞という、不名誉な賞を2年続けてもらった。100億ドル出すという声明には大した反応無し。石炭火力発電2030年以降も止めないからだと。悲しいか、今日本は石炭火力発電を止めたら停電しざるを得ない。急激に舵を切りすぎると中国のように停電になってしまう。あるいは欧州のように、停電だけでなく電気代が倍になってしまう。当然日本政府としてはそのようなことは許されないから、石炭火力発電を急に止めるわけにはいかないのだとかいう説明。中電も石炭火力発電継続の意欲満々で、今CO2削減の石炭火力発電の技術に取り組んでいて、その成果をもって2030年以降本格稼働に入るという。

 昔、ミャンマ-の田舎を訪れたことがある。ミャンマ-の田舎を訪れた時、私の子供の時代の世界の幻影をみるような懐かしさと安らぎを感じた。電気もガスも水道も無い。主要な乗り物は自転車。そんな彼らの生活を見ても、貧しいとかいう感じは無かった。不幸せとも見えなかった。彼らが見せる素朴な笑みは、日本でみる笑みより美しく思えた。日本の普通の家庭でみる、溢れる電化製品や物が無くても、人間はそんなに不幸でも無いようだ。いや垣間見るかぎり日本人より幸せそうに見えた。GDPとか、所得では測れない人間の幸せ、文明は人を幸せにしたのかと瞬間疑問が発した。

 最近ITとか金融とかの発達で化け物のような大金持ちが登場し始めた。怪物というか化け物というか、彼らの財産はちょつとした国を買い取れるほどの金額という。不条理な世界は、文明の発達によってますますその不条理の度合いを大きくするばかりのようである。金儲けの才の無い庶民は、いくら努力しても這いあがれない、努力だけでは乗り越えることが不可能な幾重もの壁が出来てしまったようだ。このままでは格差は不可逆で、落ちるものは際限なく落ち、上昇するものも際限なく上昇するというおかしなシステムが恒常的に続きそうだ。この破局を止める手段となると、かっては革命という手段が実行された。現実、今の社会は格差の経済指数からいつ革命が起こっても不思議ではないと言われている。どの大国を見ても、国は分断され、どの国も富の分配に悩んでいる。富に課税しようとすると、脱兎のごとく富は国を跨いで逃げていく。中国のような社会主義国でも、法の網を潜り抜け富は逃げてしまう。人に国籍はあるが富には国籍が無い。儲かるところ、税の安い所に逃げていく。やはり世界は行き着くところまで突進し続けるのだろうか。