雑談

昭和ノスタルジャ  日本が焼け野原からJapan as No.1 として上り詰めた「昭和」 今徐々に朽ちていく………

 FaceBookのグル-プに「昭和ノスタルジャー」というグル-プがあり、今から数十年前の懐かしい写真がアップされる。思い起こせば、戦争に突入して日本国土が灰燼に帰し、裸になった日本が這い上がった時代だ。バブルの頃は米国さえも経済的に追い詰めた時代でもある。おいらも、もちろん戦後生まれ、焼け野原になってしばらくした頃に、オギャ-と誕生したようだ。両親は東京から裸同然で疎開してきて、金融封鎖で少しばかりの財産も全て失ったときかされた。おかげて、当時の我が家は、貧乏をしょつてたっているような家族であった。厳寒の冬でも、暖房装置といえば、もみの火鉢一つ。毎日鼻水たらしていた。手はあかぎれ、風呂は五右衛門風呂、といっても知っている人は少ないか。

 そんな時代ではあったが、なぜかみんな希望を持っていたように思う。中学の時、社会の教師が授業で、日本のGDPの成長率が世界一、と自慢げに教えてくれた。今日よりも明日、明日よりも明後日は豊かになるんだと希望をもって懸命に働いた。我が家も貧乏ながら、テレビを買い、洗濯機を買い、車も購入、家も新築。今おもうと、かなり駆け足で生きていた時代だ。いろいろあったが、あんなに駆け足で、懸命に駆け上った時代は、日本にはもう永遠に来ないのかな?

 

昭和とは、日本が敗戦後、平和の恩恵を一身に受けていた半世紀。米国はベトナム戦争で手痛い反撃をくらう間に、日本が快進撃をとげた。平和はいいもんだ。二度と、戦争だけは日本がするようなことがないように。多少おちぶれても。なんて、ちよつと思う、今日この頃。

う—--ん、何が書きたいのかな。

小学生の頃、こういう鉱石ラジオキットが隣の市で売っていて、往復30キロ以上かけて自転車で買いにゆき、寝ながらラジオ聴いていました。電気が要らないので、超エネです。

 中学生になると、真空管式ラジオ、鉱石ラジオに近い並三、高一、そしてあこがれの5球スーパ-ラジオ。いろいろ遊んだな。

バリカン。一種のコンデンサ-です。これとコイルを組み合わせて、ラジオの中波の周波数を選択する。直流を通しにくい部品と、交流を通しにくい部品を組み合わせて、特定の周波数だけを通しやすい状態にしてチューニングが出来るのです。

 鉱石ラジオ、文字通り鉱石で整流するものですが、その後ダイオ-ドなるものが売られて、これはかなり整流が安定していてよかった。

 わてらの子供の頃は、こんなのを作って玩具替わりで遊んでたな。

 今夜の報道だと、ウクライナ、キエフ陥落、ロシア軍がかなりてこづっているようだ。兵站、後方支援に難渋しているようだ。最近段々ロシアの戦況が不利の報道に傾いている。ロシアの軍事予算は年間約3兆円と言われている。日本の国防費は6兆円。この程度の軍事予算でそこそこ大国のウクライナを侵略するのは無理とか、最近言われ始めている。これだけ戦況が長引くと、金が続かないようだ。キエフ攻略は諦めて、ウクライナの東側だけ割譲侵略して、ロシアの属国にする方向に傾くのではとか。